箱の中のカブトムシとは
箱の中のカブトムシは自分と他人の認識が共通であるかについて言及した思考実験です。
この理論は元々「痛み」について「自分と他者の感じ方に差があるのではないか?」という事が発端となっています。
痛みの感じ方は人それぞれだと思いますが、痛みをつかさどっている感覚器官に個性があるならば、他の感覚器官からの感度にも個人差があり「自分が認識している事実」と「周囲の人の認識している事実」は同じではない可能性があります。
思考実験は多種多様なのものがありますが、その多くは実際に実験を行う事が難しいです。
しかし、箱の中のカブトムシは実際の実験が容易に行えます。
箱の中にカブトムシを入れ、中身がカブトムシであるかを複数の人に確認してもうだけというシンプルな実験であるため比較的イメージしやすく、実験をしなくても結果が想像できると思います。
箱の中のカブトムシの実験概要
箱の中のカブトムシの実験方法は箱の中身がカブトムシであるのかを確認するだけというシンプルなものです。
- 箱の中のカブトムシは、被験者(複数人)に一人につき一つの箱を配ります。
(配られた箱の中身は他の人に見せて視覚情報を共有する事はできません。) - 被験者全員に「箱の中にはカブトムシが入っている」事を確認してもらいます。
- 被験者は視覚情報を共有できないため、それぞれに配られたカブトムシが全て同じであるのかを視覚的に確認することができません。
- 実際にどの箱の中にも「カブトムシ」は入っていますが、そのカブトムシの認識が共通したものであるのかはわかりません。
この実験では箱の中に入っているカブトムシが実際には異なるものである可能性があります。
例えば、カブトムシには性別があるため、それがオスなのかメスなのかは情報を共有しなければわかりません。
また、カブトムシには成長の過程があるため、幼虫なのか成虫なのかも情報を共有しなければわかりません。
さらに、それが生体としてのカブトムシではなく、おもちゃのカブトムシであったり、紙に「カブトムシ」と書かれているだけの可能性もあります。
しかし、どの箱の中身に対しても被験者はそれぞれ自分の認識しているものは100%カブトムシであると信じているため、共通認識として「箱の中にカブトムシが入っている」という認識になります。
このように、視覚情報を共有しないだけで様々な意識の相違によって誤解が生まれる可能性があります。
そして、これらの情報は私たちがカブトムシの存在を知っているからイメージできる事であって、カブトムシの本質を知らない人がカブトムシと信じているものはもしかしたら別のものの可能性もあります。
まとめ
カブトムシは実際に明確な物体があり、視認する事で視覚情報を共有する事は比較的簡単です。
実際に私たちが日常的に「物」として認識できる物の多くは名前を与えられて共通の認識を持てるようになっています。
しかし、感覚的なものは共有する事が難しいものが多くあり、それらは言語を介して状態を伝達されるだけに留まってしまう傾向が強いため、他者の認知している状態とは異なっていて、共通的な認識ではない可能性があります。
中でも特に認識を共通化させることが難しいのは
- 嬉しい・楽しい・幸せ
- 怒り・不快・不機嫌
- 悲しみ・失望・嘆き
- 寂しい・虚しい・喪失感
- 恐怖・不安・絶望
このような感情的な要素は特に伝達する事が難しいです。
感覚的な要素も共有する事が難しくクオリア(簡単に表現すると情報だけではない感覚的な認知)の代表的なものに痛覚があります。
痛みは人ぞれぞれ体感が異なるため、他者の受けた痛みを共有する事は難しいです。
※同程度の傷を受けてもその痛みの感じ方は異なり、中には先天性無痛病(指定難病に分類されています)などの症状によって痛みを感じない人もいます。
そして、この痛みは物質的な痛みに留まらず、精神的な苦痛も意思疎通をして伝える事が困難です。
これは痛みを例にあげたものですが、他にも共有する事が難しいものはあります。
カブトムシの部屋に近い思考実験に
- シュレディンガーの猫
(確認するまで事象が確定しない) - 中国語の部屋
(情報に対して正しい回答を導くことができても理解していない可能性がある事象) - メアリーの部屋(スーパー科学者メアリー/一人ぼっちのメアリー)
(すべての情報を知っている場合、実際に目にしたときに学ぶ事はないのか)
このように、人は言語を用いて情報を共有しているものの、その本質的な要素を伝達できていない事で多くの疑問を抱える事もあるため「他者を完全に理解する事ができないならば他者について考える事は無意味である」と考える人も少なからず存在していて、考える行為自体を否定しています。
また、不確実な情報伝達が重なって起きる不自然な現象がミステリーの真実であるという事もあります。
そして、情報を共有するために必要な知識についても議論が進んでいます。
知識は正当化された真なる信念だという説もありますが、ゲティア問題によってその定義は揺らいでいます。
知識は主に認識によって得られた成果ですが、その過程でも人は情報を得ていますし、間違った情報を得る事もあるため、知識という単語を具体的かつ明瞭に定義する事は難しいです。
(国語辞典では「知識:ある物事について知っていること。まら知っている内容やことがら」と記載されていますが、具体性に欠けています。)
備考
箱の中のカブトムシは哲学者のルートヴィヒ・ビィトゲンシュタインによって考えられた思考実験です。
余談
箱の中のカブトムシは痛みに関するものがメインで「痛覚」という感覚器官に焦点を絞っていると言えます。
しかし、広い視点で考えると個人の感覚的な能力の差を共有する事は難しいという事でもあります。
そのため、ギフテッドのような優れた能力を持っていても平均から外れている感覚は理解されにくい傾向があります。
また、発達障害のように偏った能力も平均から外れているので理解されにくい傾向があります。
そして、この問題が顕著にでているのがダニング=クルーガー効果で、優れた人程自分の能力を過小評価し劣った人ほど自分の能力を過大評価しています。
しかし、このような能力は先天的な影響が大きいため、同じ感覚を身に着けようとしても取得不可能である事も多いので、本人の努力のみではどうにもならない事も多いです。