全能のパラドックス(全能の逆説)とは
概要
全能のパラドックスは「全能には論理的な矛盾が発生してしまう」という全能を否定するパラドックスになっています。
全能のパラドックスの論理的な矛盾を語弊を恐れずにシンプルでわかりやすく表現すると”全能”という言葉自体に「物理的に不可能」な状態が含まれているため正反対のことを同時に満たす必要性が発生してしまうため「事実や現象を捻じ曲げなければできない」という論理学的不可能の考えが根幹にあります。
例えば、「液体と固体と気体の性質を同時に満たす物質」や「不老不死が死を経験する」などは無理な事象の代表的な例ですがこのように不可能だと考えられる事象は多いです。
※全知全能(全てを知り全ての能力がある)を文字通りに読み解くと「知らない事やできない事はない」はずですが、そのような完全無欠の能力をよくよく考えると不自然な点が生じる事も珍しくはありません。
このような「全能者はどんなことでも成し得る」という考えは論理学的には正しくないとされています。
数ある矛盾の中で有名なものは「全能の石」です。
「全能の石」の概要
全能の石は全能者の能力で
- 「持ち上げられない石」を作る事ができるのか?
- 「どんな石でも持ち上げる」事はできるのか?
そして、全能者はこの二つを同時に満たす事ができるのかを考える思考実験です。
全能である場合は「持ち上げられない石」を作る事はできるはずです。
しかし、持ち上げられないはずの石でも、全能であれば「どんな石でも持ち上げる」事ができるはずです。
そこで問題が生まれます。
- 石を持ち上げる場合は「持ち上げられない石」にはならない
- 石を持ち上げる事ができない場合は「どんな石でも持ち上げる」ことはできない
このように、「二つの相反する要素を同時に満たす事はできないのではないのか?」という問題点の解決は困難です。
そして、この問題を深く考えていくと砂山のパラドックス(「砂山を削っていくとどこまでが砂山であるのか」についてのパラドックス)でも扱われているように私たちの定義した「持ち上げるという」という定義が曖昧な事が原因で矛盾が生まれている可能性がでてきます。
そのため、定義の見直しから行う必要がでてきます。
まとめ
全能のパラドックスの基本的な問題は「全能者は自ら全能であることを制限し、全能でない存在になることができるか」というものです。
ここで言われる「全能の力をもつ者」は神でも悪魔でも妖精でも良いですし、仏様や幽霊のように誰でもよいのですが私たちのイメージする全能を論理的な矛盾が発生させずに叶えられるような存在を具体的な言葉で表現する事はできない事から一部の哲学者は「全能者が存在しない証明だ」と考えました。
※全知(全ての知識を持つ)という概念も全ての知識を持たないという状況を知る事はできていないと言えます。
しかし、その一方で別に一部の哲学者は「全能である」という概念について誤解や誤用によって本質を見失っているという指摘もされました。
言葉は私たちの祖先から代々変化を重ねて意味が修正され続けて引き継がれてきたものであるため最初から矛盾を抱えていた可能性もありますが、その変化の過程で本質を見失ってしまったものも多いのかもしれません。
そのような不完全な言葉でしかコミュニケーションを取る事ができない私たちは箱の中のカブトムシ(認識に誤解が生まれる状態)のように限られた情報伝達手段でしか認識を共有できないため完全に情報を共有する事はできません。
そのため、中国語の部屋(意思疎通に問題がないように思えても実際には理解できていない状態)のような実際の状況と推測された状況の差によって誤解が生まれる事も珍しくありません。
しかし、不完全でも意志疎通を行うように努力する事は大切です。
全てを分かり合えなくても他者を理解しようとすることは大切です。