
アキレスと亀のパラドックスとは
概要
アキレスと亀のパラドックスは「不合理なのに論破できない主張」の例えとして使われます。
本来ならば人(アキレス)が亀に追いつけないという事は基本的にはないです。
しかし、このパラドックスは本来ならば 追いこせるはずの亀をアキレス(人)が追い越せない理論であり不自然なのに直感的に論破しにくいためパラドックスだと言われています。
この不思議な状況は着眼点の違いによって通常は考える事の少ない視点からの理論を展開しているために起こります。
※数学的な問題にとどまらずに哲学の分野でも取り扱われるため多くの意見があります。
パラドックスの内容
このパラドックスはゼノンの逆説の一つで「俊足のアキレスが鈍足の亀を追いかけるとき、アキレスがはじめに亀のいたところに追いついたときには、亀はわずかに前進している。これを繰り返すかぎり、アキレスは亀に追いつくことはできないという説。」という内容が前提です。
理論的には正しいですが違和感を覚える人が多いと思います。
具体的な内容は下記の通りです。
- アキレスがA1地点にいるとき、亀は地点A2にいます。
- アキレスは亀に追いつくためA2を目指します。
アキレスがA2についたとき、亀はA3にいます。 - アキレスはA2から亀のいるA3を目指します。
アキレスがA3についたとき、亀はA4にいます。

この繰り返しが無限に続きます。
この理論のポイントは目的地が亀のいる地点というところで、実際には距離や時間を細分化していく理論であるため実際の感覚とはズレが生じてしまいます。
この理論は実際には正しいですが通常の考え方では想定しないような前提条件である「亀を追い続ける」という定義がある限りアキレスは亀に追いつくことはできません。
しかし、亀との距離はどんどん近づいていきますし、目的地までの時間も短縮されていきます。
これだけでは意味不明だと思う人も多いと思うため、わかりやすく簡単に解説する例としてAさん(足が速い)とBさん(足が遅い)が走って競争するシーンを考えてみます。
ハンデとしてBさんのスタート位置はAさんよりもゴールに100m近いです。
※計算しやすいようにAさんは100m10秒かかったとします。
- Aさんがスタートから100m地点に到着した時にはBさんはスタートから180m地点にいます。
100m走るのにかかった時間は10秒で、現在離れている距離は80mです。 - Aさんがスタートから180m地点に到着した時にはBさんはスタートから244m地点にいます。
80m走るのにかかった時間は8秒で、現在離れている距離は64mです。 - Aさんがスタートから244m地点に到着した時にはBさんはスタートから295m地点にいます。
64m走るのにかかった時間は6.4秒で、現在離れている距離は51mです。
このように徐々に差が短縮されていきますし、測定している時間も短くなっていきますがこれを何回繰り返しても同じ地点にたどり着く事はできません。
このような不自然な理論はアキレスと亀のパラドックスに限った事ではありません。
具体例
ケーキが1つあります。
このケーキを半分ずつ食べていきます。
- 1回目は元の1/2食べれます。
- 2回目は元の1/4食べれます。
- 3回目は元の1/8食べれます。
これはほぼ無限に繰り返す事ができます。
徐々に食べる量が減っていきますが、何回ケーキを食べても元の1つを超える事はありません。
※このような現象は無限級数が有限級数に近づくと表現されています。
まとめ
本来なら人は簡単に追い越す事ができるはずの亀ですが、理論上は無限回数行っても亀に追いつけないのがアキレスの亀の理論です。
理論的には正しいですがそもそもの問である着眼点に違和感を感じる人が多いと思います。
このように着眼点が異なる場合は答えがなかなか見つからない事があるため「不合理なのは認識できても論破できない主張」の例えとしても使われる事があります。
また、コペルニクス的転回で知られるコペルニクスの地動説ですが、周囲の人が天動説を信じる中、コペルニクスは地動説を提唱しました。
コペルニクスが地動説を提唱する以前から地動説を提唱する人はいましたが、それが広まる事はありませんでした。
コペルニクスの地動説は周知されたのは時代背景などのタイミングに恵まれた結果です。
物事の本質を見極めて周囲の人が見えてない物を見れれば答えに一歩近づくことができますが、それは今までの主流である原理原則を無視したものとなるため、大きな反感を買う可能性もあります。