砂山のパラドックスは砂山から砂粒を減らしていき、砂粒が一定の数以下になった場合は砂山でなくなるのかという思考実験です。
砂山のパラドックスの問題点は定義が曖昧なものを深く考える事で定義が揺らいでしまい矛盾がうまれてしまう点です。
しかし、定義が不明瞭な単語は日常生活では多く使われています。
それらの不明瞭な単語の一例が砂山です。
概要
砂山から1粒の砂を取り除きます。
砂粒が減ってもそれは砂山と言えるのでしょうか?
砂山と言える場合は更に1粒の砂を取り除きます。
更に砂粒が減ってもそれは砂山と言えるのでしょうか?
これを繰り返していくと砂山とそうでない境界がわからなくなってしまいます。
極端な場合は、1粒の砂粒は砂山と呼べるかを判断する事になります。
例えば、砂粒が100万粒ある場合に砂山と表現する場合、その砂粒を全て重ならないように配置しても砂山と呼べるのでしょうか?
まとめ
砂山は無数の砂粒からできています。
そして、その集まりが砂山だと定義されています。
そのため、
- 砂山という表現が間違えである
- 砂山から1粒取り除いた段階で砂山ではなくなる
- 1粒の砂でも砂山と呼ぶ
などの反論もあります。
しかし、定義が定まっていないものに対して深く考えても、答えがないのが答えなので、解明される事はありません。
そして、言葉は個人の中で定義されているため、箱の中のカブトムシのように、完全に統一する事は難しいです。
備考
砂山のパラドックスに近いはげ頭のパラドックスもありますが、概要は類似点が多いです。