モラルジレンマとは
概要
モラルジレンマは道徳的に矛盾が発生してしまい結論が出せない場面で使われる言葉です。
基本的には道徳的な観点で判断する事が難しい事から、二者択一の一方を正解だと断言する事ができない命題であるため、複数の選択肢のいずれを選択しても「正しい」とは断定できないという矛盾を抱えてしまうのがモラルジレンマの特徴です。
モラルジレンマは思考実験としていくつかのパターンがあり「トロッコ問題」や「臓器くじ」は代表的な命題であるため様々な意見があるものの、いずれも道徳的な観点では正しと断定できるような答えはありません。
そのため、「何が正しいのか」「自分ならどうするか」「正しさとはなにか」などについて学校の授業時間を使って考える機会を設けている地域もあります。
具体例(トロッコ問題)
トロッコ問題はモラルジレンマの中では比較的有名な例であるため耳にした事がある人も多いと思います。
線路を走っているトロッコが制御不能となってしまい、なにもしなければ作業員5人が犠牲になりますが、線路の分岐装置を稼働させて違う道を選択する事もできます。
しかし、進路を切り替える場合は線路の先にいる作業員が1人犠牲になります。
ここで分岐装置を稼働する事ができるのは回答者ただ一人です。
この6人の命は他の選択で変わることはなく、法的な責任も問われない場合にどちらを選択するかというモラルジレンマです。
選択肢を整理すると
- 選択肢A(進路を切り替えない)
なにもせずに5人を犠牲にする。 - 選択肢B(進路を切り替える)
線路を変更して1人を犠牲にする。
基本的にモラルジレンマ問題は、どちらを選択しても道徳的に正しい考えと断定する事は難しいです。
そのためどちらの選択肢も正解と言えますし、どちらの選択肢も不正解と言えます。
この命題を数学的に考えると1人の犠牲よりも5人の犠牲の方が少なくて済むので「選択肢B」の方が数字の上では優良な選択となります。
しかし、この問題のポイントは「5人を助けるために1人を犠牲にしている」という点です。
つまり「選択肢B」を選ぶ場合は「1人を殺す」という選択をしたという事実があります。
反対に「選択肢A」を選択した場合は「なにもしなかった」という状態になり、基本的に強い非難を浴びる事はないと思います。
※多くの場合は選択肢があった事すら公表されない事が多いと思いますし、仮に公表されても「一人を犠牲にしろ」と非難を浴びる可能性は少ないと思います。
そのため「選択肢A」の場合は傍観者でいられますが「選択肢B」の場合は殺人者となります。
そして法的な責任がないとしても「選択肢B」を選んだ場合は社会的に避難される可能性も否定できません。
特に犠牲になった人の家族が「犠牲にしてくれてありがとう」と言うとは考えられません。
大多数の家庭では「殺された」という認識を持つでしょうし「殺人犯」「犯罪者」などと罵詈雑言を浴びせられる事が予想できます。
まとめ
多数決は選択肢や意思決定に関わる人が多い場合の意思決定ではとても便利です。
しかし、多数決で可決された意見が必ずしも正しいとは限りません。
例えば
将棋のプロ棋士の判断した最高の一手に対して、その棋士に対する情報が一切ない状況の場合はその一手が優れているのかを判断できる素人はとても限られてしまうため、大多数の人は素人でもわかるレベルの最善の手を支持します。
実際にはできませんがトロッコ問題の当事者(被害者になる可能性の高い人)を集めて多数決を行う場合、トロッコの進路を変更して5人の命が助かる可能性が非常に高いです。
また、仮に条件を少し変えて「余命幾ばくもない5人と、まだ働き始めたばかりの青年や児童1人」の条件で当事者ではない人から意見を募って多数決を行うと余命が長い1人が助かる可能性もあります。
さらに、実際には5人が逃げきれる可能性よりも、1人が逃げきれる可能性の方が高いなど、条件次第で回答が変わる可能性があります。
命の数や余命で判断する事が正しいか、またその選択をできるかどうかなど多くの課題があるため、複数の結論において「どのような結果が起きるのか」「どこまで加味するのか」などについての議論や葛藤などがあるため難しい問題です。
しかし、この問題を根本的に解決する方法として、トロッコのメンテナンスが定期的に確実に行われていれば制御不能になる事がないためこの問題は起こりません。
そのため、実社会ではモラルジレンマが起きないようにすることが望ましいです。
近年ではモラルジレンマ問題を学校の授業で取り入れる自治体あるようですが、その一方で教育の教材として取り入れるのには疑問を持つという意見もあります。
しかし、大切なのはこのような「ハズレの選択肢しかない状態」を避けて日々改善をしていく事は重要です。
事前に回避できる選択ならば事前に回避するべき課題です。
備考
長崎県にバスの運転手を称え建立された打坂地蔵尊(うちざかじぞうそん)があります。
これが建立された背景には21歳の青年が大勢の乗客を護った実話があります。
当時のバスは木炭を燃料にして走行していました。
※車両の製造技術は未熟な点も多く車両トラブルも多かった時代です。
特に急こう配が続く街道最大の難所として知られている地獄坂は後ろが崖となっているため、バスの運転手からは恐れられていました。
当時の車両では力が足りずに登り切れず止まってしまう事が多く、乗客が車両から降りてバスを押す事もありました。
その日も満員の乗客30名を載せたバスのエンジンはこの地獄坂で止まってしまいました。
しかし、いつもとは異なりブレーキの故障により停車する事ができずに逆走を始めてしまいます。
車掌の青年は逆走するバスを止めようとマニュアル通りにタイヤの下に石を入れ輪留めとし、バスを止めようとしますがなかなか止まりません。
逆走を続ければ乗客を乗せたバスは崖から落ち大惨事になります。
しかし、崖まであと少しのところでバスが止まり運転手や乗客は安堵しました。
ところが、止まった車両を確認すると輪留めとなっていたのは石ではなく青年の体でした。
殉職した青年は素直で気の優しい物静かな性格だと思われていましたが、人一倍責任感と勇気がある強い青年だったようです。
この事故は車両トラブルが原因(後の調査でブレーキ、ギアシャフトの故障が確認されています)でした。