ヘンペルのパラドックス(カラスのパラドックス/ヘンペルのカラス)
概要
ヘンペルのパラドックスはカラスではないものの情報を集める事で逆説的にカラスを証明するパラドックスです。
具体的には
- 「カラスは黒い」事を前提条件とする場合「黒ではないならばカラスではない」となります。
世界中の黒くないものをすべて調べてその中にカラスがいない事を確認できればカラスを調べることなく「カラスが黒」だと断定できます。
他にも「カラスは鳥である」という前提条件の場合は「鳥でなければカラスではない」となり、鳥でないものを全て調べてカラスがいなければ「カラスは鳥」だと証明できます。
つまり、「AはBである」という命題の反対である「BでないならばAではない」という事を前提にした内容です。
この内容が正しければ実物のカラスを1羽も観測する事ができなくても真偽を判断する事ができます。
この理論を実際に行うのは物理的には不可能に近いと思いますが、それを抜きにしても違和感を抱く人が多いと思います。
そして、日常的な感覚とずれる事から「パラドックスである」と考えられています。
この理論の問題としては「黒くないもの」という定義の曖昧さと「実際に調べる対象の総数が多すぎる」点は現実的な課題となります。
ヘンペルのカラスの不可解さ
実験の一つとして「室内鳥類学」という表現があります。
この理論では、実物のカラスが1羽も観察できない閉じられた空間内で「ヘンペルのカラス」の論法通りにカラスの特徴を抽出して確証性を高める事で、実際には「世の中の全ての黒くないものを全て調べる」という前提を満たせていなくとも、ある程度の妥当性を調べる事ができるという考えです。
空間内をしっかりと調査する事で「世の中の全体を把握するために十分なサンプルが得られた」と判断できれば命題の妥当性を高めることができますし、カラスの他の特徴から逆説的な調査を行う事で理論の確証性を高めることができます。
しかし、この内容は一般化の不適切な例で誤謬(早まった一般化)であり、実際には「ヘンペルのパラドックス」には理論に大きな欠点があります。
ヘンペルのカラスの問題点
ヘンペルのカラスには大きな問題点があり、論法の「実物を観察できなくても」という前提条件は「実際に観察できないものについても」とほぼ同様の意味をもっていない事から、この論法の信ぴょう性については疑問が指摘されています。
具体的には
「幽霊は透明である」ことを前提とする場合「透明でないならば幽霊ではない」となります。
つまり、見えるものを全て調べて幽霊がいなければ幽霊は透明であるとなります。
ここで問題となるのが
- 幽霊は透明とする定義が正しいか
- 幽霊の存在が前提となっている
- 透明の解釈を目に見えないとする場合、盲目の人との定義の差が生まれる
- 見えるもが多すぎるため実際に調べる事が困難
上記の4番目で取り上げられた絶対数が多すぎる事によって証明することは不可能に近いです。
そのため、調査対象が多すぎるので妥当性を検証するために「十分なサンプルを得られた」と考えられるような範囲を限定します。
例えば
- 閉じられた空間内を調べて幽霊を見つけられなければ幽霊は透明である。
このような条件で妥当性を検証するというのが「室内鳥類学」で行われている事になります。
しかし、ここで大きな疑問が残ります。
幽霊は実際に存在しているのかという点です。
そのため、この論法には問題があるという結論になっています。
まとめ
ヘンペルのパラドクスは論法と日常的な感覚がずれてしまうという一例として広まっています。
基本的に論法は前提条件を元に展開されるため、前提条件が具体的で正しくなければ成り立ちませんが、その前提条件を正しく導く事ができれば実際にカラスが黒である事はわかる事が多いです。
※カラスの存在が確認されていれば黒いカラスの存在が判明している事が多いです。
また、この論法を正確に調査するには多大な時間や労力をかける必要性が出る事も多く、活用する事には一定の条件付けが必要になりやすいです。
そのため、このような逆説的な論法は特定の条件下でのみ採用される事が多いです。
ちなみに、命題である「カラスは黒い」という日常的にはは常識であると思える事でも、実際には「白いカラス」も存在しています。
※アルビノでとても珍しいです。
また、東南アジアに生息するカラスの多くはお腹が白かったり、全体的に灰色であったりと、日本で目にする事が多い真っ黒なカラスと異なる事も珍しくはありません。
備考
ヘンペルのパラドックスでは黒くないカラスはカラスではないとしていますが、白いカラスは実在します。
アルビノという色素の変化した個体はその代表ともいえます。
ヘンペルのパラドックスはカラスのパラドックスやヘンペルのカラスとも呼ばれます。