トロッコ問題は多数の人を助けるために少数の人の犠牲は許されるのかについて考える問題です。
トロッコ問題は倫理や道徳を考えるため提案されたモラルジレンマ問題の一つで、多くを助けるために少数が犠牲になる事についてが議論の焦点となります。
近年は科学技術の発展では人工知能の制作を行う企業も増えてきたことで、道徳的な観点の研究も注目されているため、モラルジレンマへの注目が増加しています。
トロッコ問題の内容
トロッコが走行中に車両トラブルでブレーキが利かなくなってしまいました。
線路の先には作業員が5名います。
このままでは5名の命が助かりません。
作業員5人を助ける方法が一つだけあり、線路を切り替えスイッチによって進路を変更する事です。
しかし、その先には作業員が1名います。
現在の線路上の5名を助けるためには、切り替え後の線路にいる1名の命を犠牲にしなくてはいけません。
※法的措置は受けないものとします。
実際に切り替えを行うかが議論の焦点です。
A. 線路を切りかえず、5名の命を犠牲にする。
B. 線路を切りかえ、1名を犠牲に5名を助ける。
Aを選択した場合
- 傍観者でいられます。
無関係な人のまま終われば責任を回避する事ができます。 - 5人を見殺しにしています。
なにもしない選択は正しいのかという疑問があります。
Bを選択した場合
- 当事者となる。
行動をした時点で物事の当事者となり責任が発生します。 - 5人の命を救えます。
命を救われた5人からは感謝されるはずです。 - 1人を命を見捨てることになります。
命を奪われた1人の親族から恨まれる可能性があります。
人を殺める行動をしているので、殺人者として扱われる可能性があります。
この例題では法的責任を問いませんが、実際は刑事罰を受ける可能性があります。 - 命の数で決めるのはどうなのでしょうか。
命の数による判断は正しいのかという疑問
このようにどちらを選択しても道徳的に正しいとは断定できません。
まとめ
トロッコ問題のように何もしなければ犠牲が生まれる状況はでてきます。
トロッコ問題は倫理や道徳を考える問題なので法的処罰は論外としています。
法律上では基本的に、なにもしなければ罰せられる事は少ないです。
しかし、なにもしないという選択肢を取った場合に何かが犠牲になる事があります。
トロッコ問題では5人の命が失われます。
しかし、スイッチを押して切り替えた場合は一人の命を犠牲にするため、犠牲になった方の親族から訴えられる可能性があります。
これはこの問題に限った事ではありません。
例えば人が倒れている場合です。
人通りが多いところなら誰かが助ける可能性が高いです。
「なにもしなくても誰かが助ける」と思う方も多いと思いますが、同じ考えの方は多いです。
そのため、意外と誰も手を差し伸べずに手遅れになる事もあります。
このように気づいたときに何らかの対応をしていれば助かった命は多いです。
特に災害や事故の際は日常を一変させるような事が平気で起こります。
誰かではないあなの力が必要になる時、手を差し伸べられるような人は素敵です。