コントロール幻想バイアス(制御幻想)とは
概要
コントロール幻想は「自分の力では変える事ができないもの」でも「自分の行動によってコントロールできる」と錯覚してしまう心理です。
本来ならば自分の力が及ばない事象に対しても「自分の与えた影響によって結果が変わった」という認識を持つのが特徴で、物事を主観的に捉えてしまう傾向が強い人が陥りやす傾向があります。
そのため、自己責任感が強くて努力して実績を積んでいる人が「努力が不足していた」と認識していても、客観的にみると「努力ではどうにもならない」と思うような事も多いです。
このような人は自分を追い込んでしまったり、無理して体調を崩してしまう傾向があるため注意する必要があります。
特に問題となるのはパワハラ上司や毒親のように「絶対に自分が正しい」と勘違いしている人には要注意です。
基本的に人は自分でコントロールできるものに対して満足感が高くなるため、自分の影響がない状態よりも「自分の言動によってコントロールできた」いう認識を得ると精神的に充足するため、罵詈雑言を言って部下にハラスメントを行い自分の思い通りに動かそうとする人や、子供に「しつけ」と称して虐待する人などは視野が狭く客観的に物事を判断できない傾向が強いため警戒が必要です。
具体例
コントロール幻想バイアスの基本は「〇〇をした結果〇〇となった」という考えですが、個人の影響力ではコントロールできない事も世の中にはたくさんあります。
例えば
- ギャンブルをする際に「今日は勝てそうな気がする」などの感覚に重点を置いた判断をする事があると思います。
この場合「ギャンブルをする」という行動に対してはコントロールできますが、その結果利益を得られるか(ギャンブルの勝敗)は別問題です。
しかし、「○をするとギャンブルで勝てる」「△へ行くと勝率があがる」などの根拠がない呪い(まじない)的な言動をしている人はコントロール幻想バイアスの影響を受けている可能性が高いです。
基本的にギャンブルで勝てるかどうかは運による要素が大きいため勝率はコントロールできません。
しかし、コイントスで「表が連続ででている場合、次は裏が出やすい」と誤認してしまうギャンブラーの錯誤(ギャンブラーの誤謬/モンテカルロの誤謬)のように、本来は関連した事象がないためコイントスの裏表の確率は常に1/2で勝率が変化する事はないはずなのに確率が変動していると誤解する人は多いです。
反対に「ギャンブルをやると必ず負けてしまう」と思い込んでいる人もコントロール幻想バイアスの影響を受けている可能性があります。
ギャンブルは基本的にマイナスサム・ゲームなのでトータルでは負けてしまいますが、毎回負ける事は基本的にはありませんし試行回数を増やすほど負け続ける事は困難になります。
まとめ
コントロール幻想バイアスは主観による判断のウエイトが大きい事で視野が狭くなり、偏った思考になっている状態です。
例えば
- 雨ごいによって気象変動を起こそうとする行為につていは昔は良く行わていたようですが、現在はほとんど行われていません。
このような人知を超えた影響をもたらす事は現在の科学では現実的に不可能であるは考えられているため、祈りや供物を捧げて(人を生贄に捧げるなど)も効果がないと思っている人が大多数の世界になりました。
「気象をコントロールする事はできない」のように人の影響力について「立証できない事は不可能である」と考えられるようになったため、昔から考えられていた呪術や魔法などを用いて「殺人をした」と主張しても、それを立証する事ができなければ犯罪とは認識されない社会となりました。
※天気に対する全ての事象に関して制御ができないわけではなく多少の変化は現在の科学力である程度操作ができ、ある程度の条件下では「雨を降らせる」「晴れにする」などの天気を変化させる行為はオリンピックなどの大規模イベントの際に見られる事もあります。
そのため、実際には判明していないだけで立証できない殺人もあると思います。
過去に起きた実際の事件ではそれまでに周知されていなかった「トリカブト」に含まれる「アルカロイド(アコニチンやメスアコニチンなど)」と「フグの毒」に含まれる「テトオロドキンン」を特殊な配合で混ぜる事によって毒の効果が発症するまでにかかる時間を操作すると共に、鑑定しても司法解剖をしても完全な証拠が見当たらずに完全犯罪の一歩手前までいった事件もありました。
※トリカブト毒とフグ毒は脳から細胞に伝える命令系統に異常をもたらす神経毒ですが細胞膜に相反する働きをしてお互いに邪魔をするため即効性を失わせてしまいます。
自分の力だけではどうにもできない事は日々の生活の中で多いですが「自分の努力や能力で変えられない事」に時間を割くよりも「自分の能力で変えられる事」を一所懸命やった方が将来性に与える価値が高いです。
「自分の力で制御できるもの」に時間を割くのか、それとも「制御できないもの」に時間を割くのかは将来的に大きな成果の差となります。
また、制御できる事を繰り返した影響についても考えなければ選択の結果が悪い方向へと向かう事もあります。
例えば「出世してお給料を多く貰いたい」という目標があり「他人を蹴落としてでも出世していく」という方法によって「出世を目指す」という行為はできますが、その結果「出世できる」可能性は不確定要素が強いですし、実際に出世しても組織から優秀な人材を追い出してしまった影響でお給料の減少や会社の倒産という可能性もあります。
※大きな組織でもトップよりも優れた人材(適性が高い人材)が会社を去ってしまいその後に倒産するという事が実際に起きています。
そのため、努力の方向性については「どのような影響を与えるのか」まで考えて行動する事が望ましいです。